おかっぱ頭に黒ぶち丸眼鏡がトレードマークの
レオナール・フジタ展へ(上野の森美術館)

東京牛込区(現・新宿区)に軍医の父を持ち、明治のエリート家庭に藤田嗣治(1886~1968)は次男として生まれた。東京美術学校(現・東京芸大)西洋画科に学び、当時は黒田清輝ら印象派が勢いのある中、27歳で芸術の街に単身渡仏。
その頃の、モンパルナスには、セザンヌ、ルノアール、ゴーガン、ゴッホ、才能ある若い芸術家が集まっていた。交友関係も広く、モディリアニは親友だった。
面相筆で繊細な線と「すばらしき乳白色」によって描かれた裸婦はパリ画壇で一躍脚光を浴びた。第二次世界大戦下、日本に帰国し、軍の依頼で戦争記録画を描いたことで戦後、戦争協力と非難を受け、妻と(君代)渡仏しパリへ。
パリでの生活5年を過ぎた頃、フランス国籍を取得し、キリスト教に改宗し、尊敬するレオナルド・ダヴィンチにちなんで日本人でありながらフランス人「レオナール・フジタ」として生涯を終えた。

第1章 スタイルの確立「素晴らしき乳白色の地」の誕生
第2章 群像表現への挑戦ー幻の大作とその周辺
第3章 ラ メゾン=アトリエ フジターエソンヌでの晩年
第4章 シャペル フジターキリスト教への改宗と宗教画
1992年フランス・オルリ空港近くの倉庫で発見された縦・横3メートルの大作4点は、フランスの第一線の修復チームの手で6年の歳月を経て今回展示となった。その模様も、ビデオで見ることが出来たが、細かい手作業に驚いた。「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘Ⅰ」「争闘Ⅱ」は下から見上げるほど大きい。

晩年の75歳からは、モンパルナスより車で1時間のエソンヌで、家具、食器(絵)、ベットカバー、テーブルクロスは(ミシンを使い)フジタの手作り品というアトリエ兼住居で静かに暮した。
アトリエを再現されたコーナーが展示されていた。
アトリエの壁には、フラスコ画制作の準備(練習)と思われる十字架に架けられたキリスト画、聖母マリアが残されていた。
フジタの墓所「シャペルーフジタ」はロマネスク様式の美しい石作りで、内部のフレスコ画は素晴らしく、キリストの最後の晩餐も描かれていた。毎日、早朝から深夜まで描いていたという。繊細に描かれた線は、優しい気持ちと鋭い視点からくる気迫を感じさせる。
何枚も同じような下絵が描かれている事からも、彼の妥協を許さない姿勢に感動した。
猫好きで屏風画では、猫の様子が生き生きと描かれていた。
音声ガイド(500円)は37分、バッハの音楽が静かに流れ、晩年に録音されたフジタの肉声と、小唄も聞くことが出来た。
日本を愛しつつ、フランス人となったフジタをあまり知らなかったが、日本画と西洋画を採入れた独創的な絵の美しさに魅了された。